三崎教会 4/9 聖書の救いの言葉

イースターの祈り) 

 父よ、復活の力が私たちの恐れと不安を取り除いたこと、そして、私たちが

喜びと希望に満たされていることを、人々に伝える者として下さい。


 
エスは、このぶどう酒を受け取ると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。                             ヨハネによる福音書 19:30                         

 人間となった神、主イエスは、むごたらしい十字架で肉体の弱さを経験します。しかし神は主を

復活させます。ですから弱いキリスト者は、絶望しても回復させて下さると信じて、この世を歩む

ことが出来ます。




十字架 ② ヨハネ19:16

 復活、すなわち、死後の世界がある事を人間に見せる為に、まず主イエスは死なねばなりませんでした。しかも、これ以上酷たらしいものはない、十字架でなければなりませんでした。十字架を通して、神は信じる者に何を語られるでしょうか。
一つ目は、何を置いても、やはり罪の贖いなります。易しく言えば、罪の償いです。ですから、自分には罪はないと言う人には、主イエスの十字架自体が意味のないものになります。人々は罪があると思う時、罪を冒してしまった時は、羊、牛、鳩等の動物を用意します。これを犠牲として神に献げる事によって、罪が赦されます。この事を罪が贖われると言います。
 日本のある有名な神社に、御頭(あたま)祭という神事があります。守屋山と言う山の麓で、小さな男の子を縛りつけて、まさに刀で、男の子の頭を刎ね、生贄として神に献げようとします。その時、静まりかえったその場所に、遠くから馬の蹄が聞こえてきます。馬に乗ってやって来た神の遣いが言います。あいや待たれ、その子を殺しはならないと。男の子の代わりに鹿が生贄にされ、男の子は救われるという神事です。江戸時代までは鹿が本当に犠牲にされていたそうですが、動物でさえ残酷だと言う事で、犠牲はなくなったりました。
 しかし、この御頭祭とは違って、十字架では犠牲がありました。それも動物ではなく主イエスが犠牲になりました。何の為かと言えば、主イエスを信じる者の冒した罪が贖われる為、赦される為です。
 福音書の著者は更に言います。ユダヤの人々はエジプトを脱出する少し前に、神の命令によって、小羊を屠って、犠牲にして、その血を家の鴨居に塗り、肉は焼いて食べました。滅ぼす者が来ましたが、鴨居に血が塗られたユダヤの人々の家は、滅ぼさないで通り過ぎました。過ぎ越しました。滅ぼす者が過ぎ越した神の救いを感謝して、毎年春先、今頃に行うお祭りがユダヤの過越祭です。約2千年前、丁度その過越祭の時に、主イエスは十字架に掛けられ、福音書の著者はそれは偶然ではないと言います。ユダヤの人々が、犠牲にされた小羊の血によって、滅ぼす者が過ぎ越して救われたのと同じ様に、今度は主イエスを信じる者が、主が十字架で流された血によって救われると言います。
 十字架が物語るもの、二つ目は、十字架を取り巻いていた人々です。まず、十字架の側に立っていたとされる母マリア達です。女性、ましてや母親が、十字架の傍らに立っていたとは、私にはとても信じられません。しかし他の場面でも、主イエスが逮捕された時、男の弟子達が主イエスを置いて逃げ出した後でも、女性達が側にいたと書かれています。女性は、男性とは違う種類の強さを持ってる事、そして人間には見えない神の世界を、感性で受け入れられる人がいるのだと思います。
 次は男性で、主イエスの遺体を引き取り、墓に葬る場面です。アリマタヤ出身のヨセフは主イエスを信じていましたが、ユダヤ人を恐れ、隠していました。ニコデモも地位のあるユダヤ人でありながら、主イエスを信じ、かつて人目に付かない夜に主を訪れました。しかし今回、二人とも、ユダヤ人の迫害を覚悟して、主イエスの引き取りを願い出、主の埋葬に立ち会いました。その後二人は、ユダヤ人社会から排斥されたでしょうし、良くても冷や飯を食わされたのだと思います。主イエスの十字架は、この二人の男性に、今まで慣れ親しんだ社会を捨てる決意をさせました。
 十字架が物語るもの、三つ目、最後は、神である主イエスでさえ、極端な、これ以上は考えられない苦しみによって、肉体を持つが故の、弱さに直面した事です。28節から、主イエスが息を引き取られた時が描かれています。
 今日読んでいる、ヨハネによる福音書では、成し遂げられたと言われ、息を引き取ったと書かれていますが、ルカによる福音書では、私の霊を御手に委ねます。お受け取り下さいと言われ、息を引き取ったとあります。しかし、マタイやマルコによる福音書では、全く違います。我が神、我が神、何故私をお見捨てになったのですかと、神の子であるにも関わらず、絶望したとしか思えない言葉を叫び、息を引き取られました。 
 このように主イエスの最後の言葉は、四つの福音書によって、あまりにも違い、その理由は分かりません。只、間違いないのは、キリスト者が、人間になった神、と信じている主イエスは、人間の弱さ、肉体がある為の弱さを、自ら経験されました。人間は、辛い事が間近に迫る時、その事が無くなれば良いと思い、時には逃げ出し、あるいは望みを失います。主イエスは神でありながら、人間と同じ様に、一時は絶望してしまったのです。綺麗事では済みませんでした。
 しかし、主イエスが弱さを全てさらけ出した、その先に復活がありました。ですから、信じる者の人生も、同じだと思います。程度の差はあれ、信じる者一人一人に十字架があって、その十字架の時に、弱さを隠す必要はない事になります。弱さの中で,藻掻き苦しむ中で、神に生かされている事が、この世の基準だけで生きる事の限界が、ますます確かに感じられるようになる。そのようにお教えになっていると思います。
 神仏を信じる事と、死後の世界を信じる事は同じだと思います。先週の説教にありました、三途の川を渡れるだろうか、そう言った思いは、人間は差し迫った状況にならないと普通は抱きません。主イエスの復活、死者の生き返り、多くの人は馬鹿馬鹿しいと言います。
 しかし信じる決断をした者にとっては、神に出来ない事はなく、復活を信じる事が出来ます。死んだ後どうなるか等、全く分かりません。しかし、死後の世界、復活を信じて、この世を生きる事が出来ます。主イエスが十字架で代わりに死なれたので、罪は贖われて、自分の罪は償いが済んで、赦されていると信じて、この世を生きる事が出来ます。主イエスでさえ、弱さを隠せなかったので、弱い者としてこの世を生きる事が出来ます。多くの人があり得ないと言う復活をした方は、信じる者がこの世で望みが絶たれたと思っても、信じない人がやはり、あり得ないと思う方法によって、信じる者を救って下さるはずです。
 
 何が起きるのか、先を見通す事の出来ない人間社会の中に私達はいます。十字架の苦難が、私達を救う事が出来る事を分からせて下さい。主の御名によって祈ります。





2017年  4 月  9 日   週   報 No.15
日本キリスト教団  三 崎 教 会   
受難節第6主日 主 日 礼 拝  順 序 (午前10時30分)       
                    司会  栃久保宣子 奏楽 廣瀬牧実                                
前奏                  
招詞         詩編 115:9〜11  (旧) P.955
讃美歌          25(父・子・聖霊に)        一同
主 の 祈 り                           
交読詩編                 85  
聖      書    ヨハネによる福音書 19:28〜42 (新)P.208
祈  祷
讃美歌           529(主よ、わが身を)      一同        
信仰告白
説教       「十字架の周辺」    進宏一伝道師   
祈      祷 
讃  美  歌           575(球根の中には)     一同
献金  
頌栄       26(グロリア、グロリア、グロリア)  一同
祝      祷 (礼拝当番) (今週) 
後      奏         (次週)           
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
         「イエス様の十字架」 ヨハネ 18:19〜19:16   
        114(どんな時でも) 120(小さい命が)   
          ▲先週の集会    男   女   計                        
            礼   拝   6   21   27
           教会学校      1   1    2 (教師 ・父母6) 
   (教会住所)三浦市城山町4−4 
        牧師(代務)生野隆彦   伝道師 進 宏一  
(電話・FAX) 046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp



(報告)○ 役員会報告 ①牧会・教勢 ②会計 ③前月議事録 ④イー  
 スター4月16日、玉子180個茹でる。愛餐会予定⑤教会総会4月23日  
 ⑥電柱広告検討⑦受難週・復活祭お知らせ配布
○ 2017年度 三崎教会 教会総会  (日時) 4月23日(日) 礼拝後 
 (議題)①事業報告、事業計画の件②会計決算、会計予算の件③役員選 
 挙の件⇒教会員兄姉は必ず出席願います。委任状は受付にあります。
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○ 3月1日〔水〕(灰の水曜日)より40日間は四旬節(レント)と言い、
 キリストが荒野で断食をされた40日間にちなんで定められています。
 この期間は主の受難を覚え、克己、修養、懺悔に励み、復活日(イ-スタ  
 ー)を迎える準備をする期間とされます。
○ 「受 難 週」  棕櫚の主日 4月9日(日)より一週間
   洗足木曜日(13日)、受難日(14日)
○   「 復活日」(イースター)礼拝  4月16日(日)
 (題)  「背後に立ちたもうキリスト」     生野隆彦牧師
  ヨブ記 19:21〜27 ヨハネ.による福音書 20:1〜18 
  讃美歌 328(ハレルヤ、ハレルヤ) 327(すべての民よ、よろこべ) 
 (聖句) こう言いながら、後ろを振り向くと、イエスが立っておられる 
 のが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。ヨハネ 20:14                                
 (イースターの祈り) 父よ、復活の力が私たちの恐れと不安を取り除 
 いたこと、そして、私たちが喜びと希望に満たされていることを、人々に 
 伝える者として下さい。
◎ 洗礼のすすめ
 「あなたたちが、心変わりして主を離れないために」 申命記11:16
  イースターに、洗礼を受ける方は、お申出下さい。
※ イースター特別献金のお願い!  イースターに当り、特別献金をお願いいたします。献金袋は受付にあります。
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三崎教会 4/2 聖書の救いの言葉

「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。」                                  
                             ヘブライ人への手紙 5:8                         
  従順とは、不条理な世界の中にあっても、なお、神に聴き、そしてみことばに従うことです。

 それは、苦難を通して研ぎ澄まされた信仰の実に他なりません。

 

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」                                    
                                コロサイ  4:18
  
  自分の愛するように、他人を愛せと言われても無理な話です。

  しかし、もし主イエスの為に他人にしなさいと言われれば、

 信じる者には出来るかもしれません。




2017年4月2日・三崎教会 受難節第5主日礼拝

「今朝の礼拝説教の流れ」               佐藤千郎

○受難節(レント)に入り五番目の日曜日、受難節第5主日を迎えました。来週9日は棕櫚の日曜日と呼ばれ、この日から4月15日までの一週間が受難週、来来週の4月16日が復活祭(イースター)です。
 前回(3月5日)の礼拝では、主イエスはわたしたちの大祭司で、わたしたちの弱さを思いやることの出来るお方であることを学びました。
わたしたちに与えられた大祭司、神の子イエスは人生の同伴者、そして何よりも、神とわたしたちとの間に入って、わたしたちのためにうまく折り合いを付け仲裁をして下さるお方です。だから、私の人生、即ち救いへの道は、ただ開かれているだけではなく、その道を私と共に歩き、導き、私のために弁護し、支払うべき賠償を自分の命を代償として差し出してまで支払い、同伴者としての責任を果たして下さるお方が、共に歩んで下さっている道、真の平安へと導かれている道なのです。
○神の子イエスは「肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ」(ヘブライ人への手紙5章7節)ながら、「従順を学ばれました。」(同上5章8節)
 「荒れ野の誘惑」(マタイによる福音書4章1〜)では、極限まで己を無力な存在とし、肉体の支えをすべて断ち切り、何ものにもすがらず、すべてを神に委ねる姿勢を貫かれ、神の言葉への従順を示されました
 また、十字架の出来事、特に「ゲッセマネの祈り」(マタイによる福音書26章36〜)と「十字架上でのイエスの叫び」(同上27章45〜)では、神の言葉に従って、「私の願いどおりではなく、御心のままに」(同上26章39節)生きることが、「心は燃えても、肉体が弱い」(同上26章41節)ことを知ることでもあることを、十字架を担うご自身の生き様を通して示されました。
○主イエスは従順を強制されることはありません。わたしたちの弱さを知り尽くした上で、「わたしが神の言葉に信頼し、神の言葉に委ねて生きたように、あなたもこの私と一緒に歩んでみませんか。」と呼びかけておられるのです。ヘブライ人への手紙で大祭司と表現される主イエスは、今日の箇所で「永遠の救いの源」と呼ばれています。苦難を通して研ぎ澄まされていく信仰の実は、救いの源である大祭司イエスが、わたしたちに語りかけておられるみ言葉のひとつ一つに約束されているのです。


2017年  4 月  2 日   週   報 No.14
日本キリスト教団  三 崎 教 会   
受難節第5主日 主 日 礼 拝  順 序 (午前10時30分)       
                     司会  松本設子 奏楽 伊勢田宏子                                
前奏                  
招詞       詩編 115:4〜8        (旧) P.955
讃美歌           29(天のみ民も)        一同
主 の 祈 り                           
交読詩編                 84  
聖      書      ヘブライ人への手紙 5:7〜10  (新)P.406
祈  祷
讃美歌           443(冠も天の座も)      一同        
信仰告白
説教      「キリストのお苦しみに学ぶ」 佐藤千郎牧師  
祈      祷 
讃  美  歌           504.(主よ、み手もて)   一同
献金  
頌栄           24(たたえよ、主の民)       一同
祝      祷 (礼拝当番) (今週) 
後      奏         (次週)          
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
         「イエス様の裁判」 ヨハネ 18:19〜19:16   
        114(どんな時でも) 120(小さい命が)   
          ▲先週の集会    男   女   計                        
         礼   拝      7   30   37
         教会学校           3   3 (教師 ・父母11) 
   (教会住所)三浦市城山町4−4 
        牧師(代務)生野隆彦   伝道師 進 宏一  
(電話・FAX) 046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp




(聖句) (報告) 
○ 本日、役員会を行います。
○ 2017年度 三崎教会 教会総会  (日時) 4月23日(日) 礼拝後 
 (議題)①事業報告、事業計画の件②会計決算、会計予算の件③役員選 
 挙の件⇒教会員兄姉は必ず出席願います。委任状は受付にあります。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 3月1日〔水〕(灰の水曜日)より40日間は四旬節(レント)と言い、
 キリストが荒野で断食をされた40日間にちなんで定められています。
 この期間は主の受難を覚え、克己、修養、懺悔に励み、復活日(イ-スタ  
 ー)を迎える準備をする期間とされます。
○ 「受 難 週」  棕櫚の主日 4月9日(日)より一週間
   洗足木曜日(13日)、受難日(14日)
○ 「 復活日」(イースター)は 4月16日(日)です。
◎ 洗礼のすすめ
 「あなたたちが、心変わりして主を離れないために」 申命記11:16
  イースターに、洗礼を受ける方は、お申出下さい。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 日毎の糧(3月27日次週礼拝予告  4月 9日(日) 午前10時30分
 説教題 「十字架の周辺」 進宏一伝道師   
 聖  書  ヨハネによる福音書 19:28〜30  
 讃美歌 529(主よ、わが身を) 575(球根の中には)

三崎教会 3/26 聖書の救いの言葉

○「あなたがたは、主イエス・キリストを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。」 
                                  コロサイ 2:6

   信仰は人それぞれ違います。

   キリスト者は主イエスを選びました。

   同じ道を、違うやり方で、他の信仰者が歩いていても尊重します。

   ただ、私達には、主イエスに教えられたように歩くのが、一番確実なように思えます。



2017年  3 月  26 日   週   報 No.13
日本キリスト教団  三 崎 教 会   
受難節第4主日 主 日 礼 拝  順 序 (午前10時30分)       
                     司会  日比野裕子 奏楽 伊勢田宏子                                
前奏                  
招詞       詩編 115:1〜3        (旧) P.955
讃美歌           27(父・子・聖霊の)      一同
主 の 祈 り                           
交読詩編                 83  
聖      書      出エジプト記     .24:3〜8  (旧)P.134
               マタイによる福音書 17:1〜8  (新)P.32
祈  祷
讃美歌           300(十字架のもとに)    一同        
信仰告白
説教     「人生の指針を与えられる」  鈴木伸治牧師  
祈      祷 
讃  美  歌           504.(主よ、み手もて)     一同
献金  
頌栄           28 (み栄えあれや)       一同
祝      祷 (礼拝当番) (今週) 
後      奏         (次週)           
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
         「イエス様の逮捕.」 ヨハネ 18:1〜13   
        133(どんどこどんどこ) 129(はるがきた.)   
          ▲先週の集会    男   女   計                        
            礼   拝   6   22   28
           教会学校     1   1   2 (教師 ・父母5) 
   (教会住所)三浦市城山町4−4 
        牧師(代務)生野隆彦   伝道師 進 宏一  
(電話・FAX) 046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp


(聖句) 「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け。」                            
                          マタイによる福音書 17:5                 
(今日の言葉)
   聖書は、私達が神様の御心をいただいて生きるときこそ、祝福の人
 生を導かれることを示しています。イエス・キリストの御心をいただいて 
 生きる人生は喜びの日々なのです。
(報告) 
○ 2017年度 三崎教会 教会総会  (日時) 4月23日(日) 礼拝後 
(議題)  ①事業報告、事業計画の件②会計決算、会計予算の件 ③ 
  役員選挙の件        ⇒教会員兄姉は必ず出席願います。
○ 3月11日、東日本大震災から6年でした。地震国に住む者の 
 備えを、改めて考えます。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 3月1日〔水〕(灰の水曜日)より40日間は四旬節(レント)と言い、
 キリストが荒野で断食をされた40日間にちなんで定められています。
 この期間は主の受難を覚え、克己、修養、懺悔に励み、復活日(イ-スタ  
 ー)を迎える準備をする期間とされます。
○ 「受 難 週」  棕櫚の主日 4月9日(日)より一週間
   洗足木曜日(13日)、受難日(14日)
○ 「 復活日」(イースター)は 4月16日(日)です。
◎ 洗礼のすすめ
 「あなたたちが、心変わりして主を離れないために」 申命記11:16
  イースターに、洗礼を受ける方は、お申出下さい。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次週礼拝予告  4月 2日(日) 午前10時30分
 説教題 「キリストのお苦しみに学ぶ」 佐藤千郎牧師   
 聖  書  ヘブライ人への手紙 5:7〜10  
 讃美歌 443(冠も天の座も) .504(主よ、み手もて)

三崎教会 3/19 聖書の救いの言葉

(聖句) 「あなたたちの中で罪を犯したことがない者が、まず、この女に 
 
石を投げなさい。・・だれもあなたを罪に定めなかったのか。・・私もあな 

 たを罪に定めない。行きなさい。・・私はあるということを信じないならば、 

 あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」 ヨハネ 8: 7、24                 
(今日の言葉)

石打の死刑のはずだった女性は、主イエスに赦されます。そして行 

 きなさいと言われました。誰しも罪は避けられません。しかし、信じる者 

 には主イエスの赦しがあります。罪の裁きである死を気にすることなく、 

 行って、新たな歩みを再び始めることが出来るのです。


今日の箇所では、一人の女性が、姦通の現場で捕らえられたと言って、主イエスの前に連れて来られました。人々はこの女性を、モーセの律法では石打の死刑だが、あなたはどう考えるのかと主イエスに尋ねます。旧約聖書の律法と呼ばれる部分、レビ20申命22、を読んでみますと、隣人の妻と姦淫する者は、姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる、と書かれています。皆さん良く御存知の十戒の7番目には、出エ20、姦淫してはならないとあります。何故死刑とされる程、重大な罪なのか、分からない所もあります。しかし、信じる者は、人間を造った神が厳しい罰を与えるその理由、御心を考える必要があります。
 女性を石打にすべきか尋ねられた主イエスは、あなた達の内で、罪を冒した事がない者から、律法に従って、女性を石で打てと人々に答えます。すると、年長者から、一人また一人と去って行き、その女性と主イエスだけが残りました。主は女性に言われます。誰もあなたを罪に定めなかったのか。私もあなたを罪に定めない。行きなさい。女性は解放され、石打の刑を、主イエスによって猶予されました。
 これは、ユダヤの人々の話です。しかし私達も、女性の石打のその場にいたら、同じようにその場を去るしかありません。犯罪を犯した事はなくても、罪を冒した事がない人等、この世にいません。罪と言うのは、犯罪より遙かに広い意味の言葉です。自己中心や他人への配慮をしない事も罪にってしまいます。
 主イエスは自分を愛するように、他人のことを考えなさいと教えます。信じる者はこれを実践しようとしますが、簡単ではなく、出来ていないと言った方が良いです。それでもキリスト者か、信じている意味があるのかと言われます。しかしそれでも信仰を捨てないのは、色々問題はあったとしても、信じて委ねれば救われると思っているからです。
 罪を冒した事がない人等、この世にいないのですから、私達は、罪を冒した女性を石で打つ側ではなく、私達自身が石で打たれるか、赦されるのか、どちらになるのかと言う立場にいます。しかし信じていれば、赦されると主イエスは言われるのです。勿論、信じているから何をやっても良い、開き直って良いと言うのではありません。しかし信じる者には、石で打たれるまでに、赦しと言う、猶予があるのは間違いありません。
 そして、主イエス自身は裁かない、と言われます。キリスト者は神の分身と信じていますが、抵抗することなく、十字架に掛かられました。裁くのは私ではなく、私を遣わした神であると主イエスは言われるのです。人間は神によって、先々には、死んでから裁かれる。しかしこの世では、主イエスに裁かれる事はない。ここでも私達には猶予がある事になります。
 新訳聖書には、ユダヤ教の石打の刑のよな罰はありません。しかし、肉体の死後、霊の体になって、神によって、生き続けたり、罪の為に裁かれる、もう一回死ぬ事が書かれています。徒に死後の裁きを強調し、恐怖感を煽るのは、この世を生きる私達には何の意味もありません。むしろ、信じるんであれば、罪を冒さないのは所詮、無理ですから、裁かれない為には、赦されるしかありません。そうであれば、何をすれば赦されるのかと言う問題になります。
 その問いに主イエスが答えます。私はある、と言う事を信じないならば、あなた達は自分の罪の内に死ぬ事になる。つまり、私、主イエスはあると言う事を信じれば、赦されて罪によって死ぬ事はないと言われます。
 私はあると言うのは、正しい日本語ではありません。もし子供が、僕はある、あたしはあると言ったら、皆さんは、私はあるじゃなくて、私はいるでしょと、間違いを教えて上げます。あるというのは物の存在を示すので、生物であれば、いると言います。しかしここで主イエスが言われる、私はあるという表現の中に、限られた時間しか生ない人間と違い、神が時間を超えて存在し続ける意味合いが感じられます。それを裏付けるように、私はある、すなわち主イエスはある、と言う事が分かるのは、主が十字架に掛けられた時だと言われます。主イエスは、死んでも復活し、生死を超えた、時間を超えた存在であるのが分かると言う事です。
 私はあると言う表現は、実はここだけではなく、もう一箇所あります。それは出エジプト記、3章14節で、神がモーセに、御自身の名前を語った時、私はある、私はあるという者だ、という場面があります。私はある、というのが神の名前だというのです。一方で、主イエスは、私はあると言う事を信じなければ、罪の内に死ぬ事になると言われました。この世が全て、人間の基準が全てと考える人にとっては、全くどうでも良い事です。しかしもし信じるなら、私、主イエスはあると言う事を信じる事と、私はあるという名前の神、その存在を信じる事は同じ事になります。
 主イエスは救い主と言われますが、無条件で救われる訳ではないようです。救われる為には、死んでからでは間に合わなくて、今生きている内にしなければいけない事があると言われます。今生きている時に、ある、あり続ける、存在する神と向き合う。主イエスはあると言う事を信じる事が求められます。その代わり、信じれば、罪の内に死ぬ事はない、赦されると言われます。
 信じる者は誰でも、ユダヤの人々に捕まり、石打の死刑にされそうになった女性と同じです。罪の現行犯で捕まった者は、罪によって死ぬ事になると主イエスは言われます。しかし主は言われます。私は信じる者、あなたを罪に定めない、行きなさい。女性と同じ様に、裁きを猶予して下さいました。石打から解放されました。ですから、信じるのであれ主イエスに、赦しを請い続けて生きる他ありません。
 罪を冒してしまう、またやった、やらかした、しでかしたと言われる事があります。やらかしたのは、個人の生活かもしれません。あるいは仕事かも知れません。やらかしてしまった時、少しであっても自分に落ち度があって、相手を傷付けたと思える時は辛いものです。しかし、まず主イエスが赦して下さる。相手に対する関係も調整して下さるはずです。必ずリセットして下さる。そして再びスタートを切らせて下さる。罪の赦しは、次の世、死んでからでは決してなくて、信じる者にとっては、この世を生きて行く上での守りになる。そのように思います。
 
 信じる者は罪が赦され、罪によって死ぬ事がないと分かった上で、この世を生きて行けるようにして下さい。主イエスキリストの御名によって祈ります。




2017年  3 月  19 日   週   報 No.12
日本キリスト教団  三 崎 教 会   
受難節第3主日 主 日 礼 拝  順 序 (午前10時30分)       
                      司会  栃久保宣子 奏楽 大川昌美                                
前奏                  
招詞       詩編 114:5〜8   (旧) P.955
讃美歌           25(父・子・聖霊に)       一同
主 の 祈 り                           
交読詩編                 82  
聖      書 ヨハネによる福音書 8:4〜11、24〜30 (新)P.180
祈  祷
讃美歌         300(十字架のもとに)      一同        
信仰告白
説教     「罪があると思っているか」 進宏一伝道師  
祈      祷 
讃  美  歌         412.(昔 主イエスの)    一同
献金  
頌栄     26(グロリア、グロリア、グロリア)     一同
祝      祷 (礼拝当番) (今週)                (次週)           
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
         「ろばの子にのるイエス様.」 ヨハネ 12:12〜19   
        133(どんどこどんどこ) 129(はるがきた.)   
          ▲先週の集会    男   女   計                        
            礼   拝    6   37   43
           教会学校      1   3   4 (教師 ・父母12) 
   (教会住所)三浦市城山町4−4 
        牧師(代務)生野隆彦   伝道師 進 宏一  
(電話・FAX) 046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp



(報告) ○ 役員会報告 ①牧会・教勢 ②会計 ③前月議事録 ④イー  
 スター4月16日、玉子多めに茹でる。愛餐会予定⑤教会総会4月23日  
 ⑥トイレ手摺工事 2万円
○ 3月11日、東日本大震災から6年でした。家族が召された方、 
 自宅に戻れなくなった方を覚えます。改めて今、何をすべきなの 
 か、主イエスの言葉に耳を傾けます。
○ 先週のお花見には、大人40人、子供6人.が参加しました。出し物の 
 口上と子供の表情を楽しむことが出来ました。前日と早朝の準備、片付 
 のお手伝を感謝いたします。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 3月1日〔水〕(灰の水曜日)より40日間は四旬節(レント)と言い、
 キリストが荒野で断食をされた40日間にちなんで定められています。
 この期間は主の受難を覚え、克己、修養、懺悔に励み、復活日(イ-スタ  
 ー)を迎える準備をする期間とされます。
○ 「受 難 週」  棕櫚の主日 4月9日(日)より一週間
   洗足木曜日(13日)、受難日(14日)
○ 「 復活日」(イースター)は 4月16日(日)です。
◎ 洗礼のすすめ
 「あなたたちが、心変わりして主を離れないために」 申命記11:16
  イースターに、洗礼を受ける方は、お申出下さい。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次週礼拝予告  3月 26日(日) 午前10時30分
 説教題 「人生の指針を与えられる」 鈴木伸治牧師   
 聖  書  出エジプト記.24:3〜8 マタイによる福音書 17:1〜8 

三崎教会 3/12 聖書の救いの言葉

(聖句) さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。「あの方は、あな

たがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお

目にかかれる」と。               マルコによる福音書 16:7

 
   教会も伝道者も立ち尽くしかない日本伝道の現実。徒労に

終わるかと思える日々の営み。その中で、たとえ下手と言われようとも、

まずいと言われようとも、黙々と働くことができるのは、重い労苦が祝 

福へと、変えられることを知っているからだ。


○「この杯を私から取りのけてください。しかし、わたし

の願いではなく、御心のままに行ってください。」     ルカ 22:42
   

  杯とは十字架の試練のことです。

 神である主イエスでさえ苦しみました。

 しかし、十字架の苦しみを乗り越え復活しました。

 ですから信じれば、弱い私たちをも、困難を克服させて下さいます。



2017年  3 月  12 日   週   報 No.11
日本キリスト教団  三 崎 教 会   
受難節第2主日 主 日 礼 拝  順 序 (午前10時30分)       
                      司会  木村諭 奏楽 廣瀬牧実                                
前奏                  
招詞       詩編 114:1〜4   (旧) P.954
讃美歌           24(たたえよ、主の民)     一同
主 の 祈 り                           
交読詩編                 81   
聖      書    イザヤ書 53:1〜5          (旧)P.1149  
             マルコによる福音書 15:33〜41 (新)P.96
祈  祷
讃美歌         299(うつりゆく世にも)     一同        
信仰告白
説教     「立ち尽くす風景の中で」 生野隆彦牧師 
祈      祷 
聖  餐  式
讃  美  歌         530(主よ、こころみ)    一同
献金  
頌栄          29(天のみ民も)        一同
祝      祷 (礼拝当番) (今週) 
後      奏         (次週)           
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
         「最高のプレゼント」 ヨハネ 12:1〜8   
        133(どんどこどんどこ) 129(はるがきた.)   
          ▲先週の集会    男   女   計                        
            礼   拝      7   22   29
           教会学校       1   3   4 (教師 ・父母7 ) 
   (教会住所)三浦市城山町4−4 
        牧師(代務)生野隆彦   伝道師 進 宏一  
(電話・FAX) 046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp

                  
(報告) ○ 3月11日、東日本大震災から6年です。召された方、な
お困難にある方を覚えます。そして主イエスが私たちに、今何を
すべきと言われているのか考えます。
○ 礼拝後、62歳の桜のお花見を行います。玉子ポテトサラダ、ハム、チ
ーズ、レタスをロールパンに挟んでください。コーヒー、黒糖ゼリー、小 
 豆アイス、芋ようかん等を用意します。準備と片付の短時間のお手伝い、 
 よろしくお願いいたします。会費は大人300円、子供200円です。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 3月1日〔水〕(灰の水曜日)より40日間は四旬節(レント)と言い、
 キリストが荒野で断食をされた40日間にちなんで定められています。
 この期間は主の受難を覚え、克己、修養、懺悔に励み、復活日(イ-スタ  
 ー)を迎える準備をする期間とされます。
○ 「受 難 週」  棕櫚の主日 4月9日(日)より一週間
   洗足木曜日(13日)、受難日(14日)
○ 「 復活日」(イースター)は 4月16日(日)です。
◎ 洗礼のすすめ
 「あなたたちが、心変わりして主を離れないために」 申命記11:16
  イースターに、洗礼を受ける方は、お申出下さい。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次週礼拝予告  3月 19日(日) 午前10時30分
 説教題 「罪があると思っているか」 進宏一伝道師  

三崎教会 3/5 聖書の救いの言葉

○ある病の人が、「主よ、御心なら清くすることが出来ます。」と言った。

 イエスが手を差し伸べ、その人に触れ、清くなれと言われると、たちまち清くなった。



○ 富は天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くことも、盗人が盗み出すこともない。」 マタイ 6:20   

富を天に積むのは簡単なことではありません。

お金はこの世で自分のために使いたいからです。

しかしこの世のためだけに積んだお金は、虫が食い、錆び、盗まれると主イエスは警告されます。




「今朝の礼拝説教の流れ」               佐藤千郎

○去る3月1日に「灰の水曜日」を迎え、今年も受難節に入りました。改めて、自分を見つめ直す時として、また、復活祭(4月16日)に備えて、主イエスの十字架のお苦しみの中に神の御心を読み取り、わたしたち一人ひとりがどれ程深く神に愛されているかを学び直すときとして、受難節(レント)の期間を大切にしたいと思います。
受難節の聖書日課の一つは、「大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(ヘブライ人への手紙4章16節)と呼びかけています。わたしたちには偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているから、そして、わたしたちがイエスを救い主キリストと公に言い表しているからです。
 ○旧約聖書では、大祭司は、神殿の一番奥にある至聖所で、年に一回行われる贖罪の儀式を執り行うことの出来るただ一人の祭司でもありました。この大祭司に求められる資格は、まず、第一に、他者の苦難を共にすることの出来る能力、即ち、苦しんでいる人たちの苦しみを思いやることが出来ると言うことです。
 ヘブライ人への手紙の差出人は、主イエスが大祭司の根本条件を満たしたお方であり、わたしたちの大祭司にふさわしいお方であることを書いています。「イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです」(同、2章17節)と。そして、さらに「大祭司であるイエスのことを考えなさい」(同、3章1節)と勧めています。
 信仰者の弱さと共に在り、弱さを思いやるイエスの姿は、十字架のお苦しみの中で、弱さを露わにしていく弟子たちへの気遣いを彷彿させます。それはまた、試練に遭うとすぐに心は揺らぎ、神への信頼(信仰)を失い、教会からも遠ざかっていくわたしたちの現実とも重なります。
○差出人は、ローマ帝国の迫害のもとで苦しみ、信仰の揺らぎに悩んでいる信徒たちに、「大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」と呼びかけています。
 主イエスは、わたしたちの弱さを知り尽くした大祭司として、わたしたちに憐れみと恵みを注ぎつつ、わたしたちのことを心配してくださっているのです。だから、大胆に恵みの座に近づくこと、即ち主イエスと向き合うことを勧めているのです。
 受難節とは、自分の弱さや信仰の破れに気付き、率直にそれを認め、再び祈りと礼拝を暮らしの中に取り戻すために、痛みを伴いつつ努力していく季節でもあります。




2017年  3 月  5 日   週   報 No.10
日本キリスト教団  三 崎 教 会   
受難節第一主日 主 日 礼 拝  順 序 (午前10時30分)       
                      司会 進宏一  奏楽 伊勢田宏子                                
前奏                  
招詞       詩編 113:7〜9   (旧) P.954
讃美歌           29(天のみ民も)         一同
主 の 祈 り                           
交読詩編              80:1〜12   
聖      書    ヘブライ人への手紙 4:14〜16 (新)P.405
祈  祷
讃美歌         丘の上の主の十字架(303)    一同        
信仰告白
説教     「大胆に恵みの座に近づく」 佐藤千郎牧師 
祈      祷 
讃  美  歌         やすかれわがこころよ(532)   一同
献金  
頌栄         24(たたえよ、主の民)       一同
祝      祷 (礼拝当番) (今週) 徳山宏基 川崎孝子 星可奈
後      奏         (次週) 日比野裕子 青木芳隆 米崎貞子          
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
         「エルサレムの宮」 ヨハネ 2:13〜16   
        133(どんどこどんどこ) 129(はるがきた.)   
          ▲先週の集会    男   女   計                        
            礼   拝      5   21   26
           教会学校       1   1   2 (教師 ・父母7 ) 
   (教会住所)三浦市城山町4−4 
        牧師(代務)生野隆彦   伝道師 進 宏一  
(電話・FAX) 046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp




(聖句) 「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助 
 けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」
                           ヘブライ人への手紙 4:16                  
(今日の言葉)わたしたちはすでに憐れみを受け、罪の赦しの恵みにあず 
 かっています。主の助けは確実です。求められているのは、イエス・キ 
 リストを救い主として受け入れる大胆さ、神の招きに応える大胆さです。
(報告) 
○ 本日、役員会を行います。
○ 教会の桜は間もなく満開を迎えます。お花見を来週、12日に行いま  
 す。オープンサンド、玉子ポテトサラダ、コーヒー、黒糖ゼリー、小豆アイ 
 ス等を用意します。礼拝前後の準備と片付、短時間お手伝い頂ける方、 
 歓迎いたします。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 3月1日〔水〕(灰の水曜日)より40日間は四旬節(レント)と言い、
 キリストが荒野で断食をされた40日間にちなんで定められています。
 この期間は主の受難を覚え、克己、修養、懺悔に励み、復活日(イ-スタ  
 ー)を迎える準備をする期間とされます。
○ 「受 難 週」  棕櫚の主日 4月9日(日)より一週間
   洗足木曜日(13日)、受難日(14日)
○ 「 復活日」(イースター)は 4月16日(日)です。
◎ 洗礼のすすめ
 「あなたたちが、心変わりして主を離れないために」 申命記11:16
  イースターに、洗礼を受ける方は、お申出下さい。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次週礼拝予告  3月 12日(日) 午前10時30分
 説教題 「立ち尽くす風景の中で」 生野隆彦牧師  
 聖  書  マルコによる福音書 16:1〜8 
 讃美歌24 327(すべての民よ、よろこべ)328(ハレルヤ、ハレルヤ) 29

三崎教会 2/26 聖書の救いの言葉

○私の言葉を聞いて行う者は岩の上に家を建てた人に似ている。

雨が降り、川があふれ、風が吹いてもその家は倒れなかった。

 私の言葉を聞くだけで行わない人は砂の上に家を建てた人に似ている。

雨が降り、川があふれ、風が吹くと、家は倒れ方がひどかった。



(聖句) 「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている霊について言われたのである。
                         ヨハネによる福音書 7:37〜39

(今日の言葉)
 主イエスが言われる渇かない水とは、信じる者が受ける聖霊だと言われます。心と体の渇き、精神的、物質的な渇きをいやし、一度与えられれば、自分の中から泉のように湧き出るので、渇くことのない水です。普通ではありえないので、信じない人に偽善と言われそうです。しかし実は、信じる者にとっては、渇かない水が偽善ではない気がする、偽善でないことが何となく分かるのです。主イエスを信じる者は、渇かない水、聖霊が与えられていることもまた信じて、この世を生きなさいと言われています。  



生きた水の流れ ヨハネ7:32

 今日の聖書箇所で、信じないユダヤの人々は、主イエスが何を言っているのか全く分かりません。しかしもし信じると、以下の通りになります。「今暫く、私はあなた達と共にいる。」これは神である主イエスが人間になった事です。「それから、自分を遣わした方の許へ帰る。」主は十字架で、体は死なれても、霊の命は神の許に帰りました。「あなたたちは私を捜しても見付ける事が出来ない。」人間が認識する事も、見る事が出来ない神の世界に主イエスはいますので、捜しても見つかりません。「私がいる所にあなた達は来る事は出来ない。」信じないユダヤの人々は、主がいる神の許に行く事が出来ないという事になります。
 私を見付ける事が出来ないと言われた人々が、主イエスは、ギリシャに離散したユダヤ人の許にでも行くのかと言っています。ユダヤの国は滅ぼされ、人々は国を失い各地に離散、散らばり、ギリシャに行ったユダヤの人々もいました。余談ですが、国が滅んだユダヤの人々の末裔、子孫が、シルクロードを通って、中国や朝鮮半島、そして日本にやって来たと真面目に主張する方々がいます。やって来た位ならまだ良いのですが、日本最初の統一王朝である、奈良の大和朝廷ユダヤの末裔だったと言います。もし本当なら、今の天皇家も、そして私達一般人の一部も、祖先がユダヤ人と言う事になります。
 聖書に戻りますと、反発する人々がいる中、主イエスが神の言葉を人間に伝えていると信じる人もいました。その人々の、信じる信じないの基準は聖書でした。ユダヤの人々にとって聖書、私達のこの旧約聖書は、その中に命があり、救いがありました。どのように生きれば、命が神に守られるか、救われるかです。ですから聖書を隈無く読み、一語一語が何を意味するのか調べました。
 この事は、今、キリストを信じる者でも同じです。信じる決断をした人にとっては、書かれている言葉が真実だと考える事から出発します。真実であれば、次は何を意味するかを探ります。まず、聖書の言っている事が、明らかで直ぐ分かる場合があります。反対に、何を言っているのか、どういう理由で言うのか、全く見当が付かず、主イエスの言葉だから仕方ない、鵜呑みにして信じる他ないと思う場合もあります。
 もう一つ、その中間ですが、信仰生活を続けていると、初めはあまり理解出来なかった言葉が、もしかしたらこの事を言っているのではないか、と気付く時があります。初めは断言出来なくても、時間が経つにつれ、その思いはだんだん確信に変わって行きます。聖書の譬え話に、人が見向きもしない畑に宝が埋まっているのに気付き、全財産を投じてその畑を買った人の譬えがありますが、正にそんな感じです。
 信じる者にとっては、聖書の言葉が何を意味しているのかが大切です。永遠の命という、先の話だけではなく、今この世を生き抜く為に、どうしたらよいのか、ということです。そして今日の最も中心的な言葉、生きた水の流れとは、信じる者の生活にとって何なのか、と言う事です。
 主イエスは言われました。「渇いている人は誰でも私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」以前の別の箇所、4:14では、井戸の水を飲んでもすぐ渇くが、主イエスに与えられた水を飲む者は、渇かないと言われました。
 渇かない水とは一体何なのか。渇かない水など普通はありません。只、信じる者は、ここから主イエスが何を言われているのか考えて行きます。まず、渇いているとは、精神的、経済的に満たされない、心と体が満たされない事です。主イエスの水を飲むと、それが生きた水となる。何故生きた水かというと、一度飲むと、その人の中から泉のように湧いて出て来る。自分で水を作れる訳ですから、渇かないと言います。本当でしょうか。
 渇かない水が、例えばどんな物か考えてみます。主イエスを信じると、信じない人が沢山必要とする何かの物を、少しだけで満足する事が出来る。この世的に、値段の高い物、誰もが欲しがる物をあまり欲しくなくなる。少ししかない、値段の高い物に代えて、何処にでもある物、誰も見向きもしない物で代用出来る。そんな事が、渇かない水として考える事が出来ます。
 しかし、主イエスに一度生きた水を与えられると、欲しくてたまらない苦しみから解放される。誰でも欲しいと思う物が欲しくなくなる等と言えば、信じない人に、そんなものあるはずない、偽善だと言われても仕方ないのでしょうか。しかし主イエスは、信じる者に偽善者になれ、と言われるはずがありません。主イエスが不可能を押し付けたりしない事もキリスト者は信じて行きます。
 今日の箇所で、その、渇かない水とは、信じる者が与えられる霊、聖霊の事だと言っています。聖霊は、父子聖霊と言いまして、父なる神、神の子としての主イエス、そして神が取られる三つ目の形が聖霊です。聖霊については、信じる者でさえ、聖霊という存在も、聖霊が与えられると言う事も、あまり理解出来ません。只、聖霊が与えられると、自分の内から次々に泉のように湧き出るから渇かないと、今日の聖書箇所で言われるのです。
 信じる者でも、この世の欲求、あれが欲しい、これをしたい、が無くなるはずはありません。この世では目を見張る様々な美しいものがあります。人によって思い浮かべる物は異なります。そんな美しい物に一時的に心は奪われたとしても、主イエスがのめり込まないで済むようにして下さる。そうかと言って、必要は必ず満たされ、御心に適う欲求は満たして下さる。ですから、結果としては渇かない。
 信じない人は偽善だと言うと思います。しかし、信じる者にとっては、実はそうでもない、偽善とは言えない事が何となく分かるのです。聖霊が与えられると、泉のように湧き出る渇かない水となる。必要は満たされ、それなりの満足もあり、困難を乗り切らせて下さる。キリスト者もこの世を生きねばなりません。精神的な、心の欲求と、経済的な、体の欲求が満たされなければ、大変な問題です。もし食べて行けないならそれは深刻で、食べ物があっても、どう生きて良いか分からなくなってしまったら、これもまた深刻です。しかし今、主イエスがその両方共、心の欲求も体の欲求も、賄って下さる。信じる者が干上がってしまう事がないようにして下さる。この渇かない生きた水、聖霊が与えられているのを信じて生きて行けと言われています。

この世の物に目を惑わされることなく、聖霊が与えられていることを実感して、この世を生きる事が出来る様にして下さい。主イエスの御名によって祈ります。




2017年  2 月  26 日   週   報 No.9
日本キリスト教団  三 崎 教 会   
受難節前第一主日 主 日 礼 拝  順 序 (午前10時30分)       
                      司会 新明隆子  奏楽 伊勢田宏子                                
前奏                  
招詞       詩編 113:4〜6    (旧) P.954
讃美歌         27(父・子・聖霊の      一同
主 の 祈 り                           
交読詩編              79   
聖      書    ヨハネによる福音書 7:32〜39 (新)P.179
祈  祷
讃美歌         513(主は命を)        一同        
信仰告白
説教        「渇かない水を頂く」     進宏一伝道師 
祈      祷 
讃  美  歌         385(花彩る春を)       一同
献金  
頌栄         28 (み栄えあれや)     一同
祝      祷 (礼拝当番) (今週) 
後      奏         (次週)         
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
         「ヒゼキヤ」 列王記下 18、19:   
        123(かなしいときにも) 136(ロケットにのって)   
          ▲先週の集会    男   女   計                        
            礼   拝   6   24   30
           教会学校     1   2   3 (教師 ・父母7 ) 
   (教会住所)三浦市城山町4−4 
        牧師(代務)生野隆彦   伝道師 進 宏一  
(電話・FAX) 046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp




(報告) 
○先週の席上献金、27,000円はギデオン協会に捧げられました。
○ 教会の桜は間もなく満開を迎えます。お花見を3月12日に行います。礼拝後、オープンサンド、コーヒー、デザートを御用意します。帰り掛けに召し上がって下さい。

○ お祈りください! ①国内外の格差 ②地震地域に住む者として備 
 えが出来る事 ③神の言葉の力で子供を成長させ、子供が成長できる 
 場所を目指すこと④教会に関わる者を守って下さること⑤私たちが次世 
 代に、この城山の地の教会をつなぐことが出来ること

○ 礼拝堂では、静かにその日の聖書を読み、心を神に向けましょう。

次週礼拝予告  3月 5日(日) 午前10時30分
 説教題 「大胆に恵の座に近づく」 佐藤千郎牧師  
 聖  書  ヘブライ人への手紙4:14〜16 
 讃美歌  丘の上の主の十字架(303) やすかれわがこころよ(532)