三崎教会 週報 11/6
2016年 11 月 6 日 週 報 No.45
日本キリスト教団 三崎教会
三位一体後第23主日 主 日 礼 拝 順序 (午前10時30分)
司会 松本設子 奏楽 廣瀬牧実
前奏
招詞 詩編 108:11〜14 (旧) P.950
讃美歌 24(たたえよ、主の民) 一同
主 の 祈 り
交読詩編 58
聖 書 ローマの信徒への手紙 14:1〜12 (新)P.293
祈 祷
讃美歌 390(主は教会の基となり) 一同
信仰告白
説教 「交わりの原点」 佐藤千郎牧師
祈 祷
讃 美 歌 567(ナルドの香油) 一同
献金
頌栄 25(父・子・聖霊に) 一同.
祝 祷
後 奏 (礼拝当番) (今週)
(次週)
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)
「ダビデの逃亡」 サムエル記上 18〜19
そらにはてんしの(18) いざうたえ(26)
▲先週の集会 男 女 計
礼 拝 5 27 32
教会学校 1 1 2 (教師 ・父母6 )
(教会住所)三浦市城山町4−4
牧師(代務)生野隆彦 伝道師 進 宏一
(電話・FAX) 046-881-7923 (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp
(聖句)
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主
のために死ぬのです。したがって、生きるにしても、死ぬにしても、わ
たしたちは主のものです。 ローマの信徒への手紙 14:8
(今日の言葉)
生きるにせよ、死ぬにせよ、わたしたちの主イエスに対する関係に
変化はありません。わたしたちのどのような生も死も、主の恵みの御
手に守られているのです。
(報告)
○ 本日は永眠者記念日(聖徒の日」)です。既に天に召された教会員、
礼拝出席者のご親族(宗教を問わず)を覚え、記念の礼拝をささげます。
○ バザーが11月3日に上宮田小羊保育園で行われました。ご奉仕され
た教会員、職員の皆様ご苦労さまでした。後日結果報告をいたします。
○ 教会創立62周年記念 秋の特別伝道礼拝・集会 第2回 11月27日
説教題 「日々新たにされて」 井上喜雄牧師
コロサイの信徒への手紙 3:1〜4 どうぞ御期待ください。
○ 小澤扁理兄の、ピアノソロCDアルバム 「雪明り」(小樽の雪明りに
感謝を込めて…)をお分けいたします。残り1枚となりました。代金の25
00円は、62年記念献金とさせて頂きます。
○ 教会創立62周年記念特別献金のお願い:近日中予定の教会堂建物
塗装のため、献金をお願いいたします。献金袋は受付にあります。
○ お祈りください! ①国内外の貧困②神の言葉の力で子供を成長さ
せること③教会生活をする者が守られること④私たちが次世代に教会
をつなぐことが出来ること
○ 礼拝堂では、静かにその日の聖書を読み、心を神に向けましょう。
○ 日毎の糧(11月1日)「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ。」
マルコ2:22古い革袋に新しいぶどう酒を入れれば、破れてしまうよう
に、環境が変われば、私たちも適応しなければならない時があります。
主イエスは、私たちが十分適応出来ず、能力の限界を感じる時でさ
え、新たに神に委ねれば、救いの道が開かれることを示されます。
次週礼拝予告 11月 13日(日) 午前10時30分
説教題 「生きるために必要な命のパンとは」 進宏一伝道師
聖 書 ヨハネによる福音書 6:21〜
讃美歌 58(み言葉をください) 256(まぶねのかたえに)
2016年11月6日・三崎教会 終末前々主日
「今朝の礼拝説教の流れ」 佐藤千郎
○ローマの信徒への手紙は紀元56年頃、ローマにあるキリスト教会に宛てて書き送られた手紙です。この年代に注目したいと思います。
ひとつは、キリスト教会が誕生して未だ20年になるかならない時代、すでに、「信仰によってのみ義とされる」という信仰義認の考えを理解できる信仰者の群が、育っていたこと、もうひとつは、ローマ帝国がその勢力を年ごとに強めていた時期に、帝国の首都であるローマに、キリストの福音が届いていたことです。キリストの福音に宿る力に驚きを感じると共に、わたしたちの伝道に込められた希望を改めて覚えます。
○ユダヤ教を母体に誕生したキリスト教会は、ユダヤ以外に住む異邦人への伝道が進む中で、様々な問題に直面していきました。教会に生じた不和・対立を扱っていない手紙はないと言って良いほど、初代教会は、主にある交わりの形成に苦労した群でもありました。わたしたちは今日、異邦人との交わりを暮らしの中で排除してきたユダヤ人キリスト者と、律法のおきてとは無縁に生きてきた異邦人キリスト者との間に生じた亀裂が、信仰の内容を巡る激しい論争へと繋がっていった経緯を、遺された手紙の中に読み取ることができます。
○異邦文化の中心地とも言えるローマに誕生したキリスト教会も例外ではありませんでした。この教会では、肉を断ち野菜だけを食べている人たちと、肉を含め何でも食べて良いと考えている人たちとの間に、信仰生活のあり方を巡って深刻な対立のあったことが伺えます。パウロは、前者を「信仰の弱い人」と呼びながらも、その信仰理解と暮らしの中での振る舞いに理解を示し、「信仰の弱い人を受け入れなさい。……(何でも)食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです」(ローマの信徒への手紙14:1-3)と勧めます。
○パウロは、食べる、食べないと言う行為の善し悪しでなく、信仰者それぞれの生き方への信頼、即ち、それぞれが主のために生きていることへの信頼に立って、理解し合うことを勧めています。(同上、14章7,8参照) 教会の交わりの原点は、この人も「主のために生きている」ことへの驚きと信頼に、そして、この人もまた、主に用いられている人だからと言うことで、この人の重荷を共に担う愛の行いと振る舞いにあります。換言すれば、祈りあって共に在る信仰者の群の形成、それが教会の交わりです。