三崎教会 週報 7/3

2016年  7 月  3 日   週  報 No.27
日本キリスト教団 三崎教会                
三位一体後第6主日   主 日 礼 拝    順序 (午前10時30分)  
                 司会 進宏一   奏楽 大川昌美                                    
前奏                  
招詞        詩編 106:47〜48   (旧) P.947
讃美歌          24(たたえよ、主の民)       一同
主 の 祈 り                           
交読詩編                39       
聖      書    ローマの信徒への手紙 6:3〜8 (新)P.280
祈  祷
讃美歌        新聖歌325(歌いつつ歩まん)      一同        
信仰告白
説教        「キリストと共に生きる」  佐藤千郎牧師
祈      祷 
讃  美  歌         433(あるがままわれを) 一同
献金  
頌栄          25(父・子・聖霊に)         一同
祝      祷
後      奏  (礼拝当番) (今週)
               (次週)               
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
      「モーセの誕生」 出エジプト記 1:8〜2:10  
         ()()   
          ▲先週の集会    男   女   計                        
          礼   拝     6   27  33
          教会学校      1   2   3  (教師 ・父母 ) 
   (教会住所)三浦市城山町4−4 
        牧師(代務)生野隆彦   伝道師 進 宏一  
  (電話・FAX) 046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp


(聖句) わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。          ローマの信徒への手紙 6:8                                                    
(今日の言葉)  わたしたちにとって最高の幸せは、キリストと共に在ることです。しかし、それは同時に、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」と叫ばれたイエス・キリストに、同じ言葉を叫ぶ自分自身の姿を映し出すことでもあります。
(報告)
○来週、7月10日、東湘南地区教会音楽祭が横須賀学院チャペルで行
われます。「歌いつつ歩まん」、「シャローム」を歌います。礼拝後、短時間
練習します。ご参加お待ちしております。なお、当日は上履が必要になり
ます。
○バザー委員会を、7月12日(火)、午後2時から小羊保育園で行います。
○教会婦人会修養会を7月18日(海の日)に行います。午前は聖書の学びの時、午後は楽しく歌い、ピアノ、バイオリンの演奏も予定しています。
○信徒の友、7月号が来ております。
○教団を通して、熊本地震の被災者に献金いたします。献金箱は受付にあります。引き続きご協力お願いいたします。
○6月28、29日に大石愛子さんの前夜式、告別式が行われ、生野牧師が司式と説教をいたしました。
○6月23日は、犠牲者が20万人を超えた、沖縄戦慰霊の日でした。
○お祈りください! ①国内外の格差②子供の成長の力になれること
③キリストの言葉で教会生活をする者が守られること④すぐ行ける、三崎
の教会であること⑤私たちが次世代に教会をつなぐことが出来ること
○礼拝堂では、静かにその日の聖書を読み、心を神に向けましょう。
○日毎の糧(月日)「・・正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。」 使徒言行録 24:15    
  聖書によれば、神を信じる者だけが復活するのではありません。信じた者も、信じなかった者も、その行いに応じて、裁かれるために復活すると書かれています。ただ信じた者は罪が赦され、裁かれることなく、命を得られると言われます。ですから信じる者にとって復活は希望になります。
次週礼拝予告  7月 10日(日) 午前10時30分
説教題 「腰を据えて」  生野隆彦牧師
聖書  使徒言行録 18:1〜16 コリントの信徒への手紙 Ⅰ 1:1〜5
讃美歌 211(あさかぜしずかにふきて)新聖歌325(歌いつつ歩まん) 



2016年7月3日・三崎教会 三位一体後第6主日礼拝

「今朝の礼拝説教の流れ」               佐藤千郎

キリスト教会にとって、重要な言葉のひとつに「サクラメント」があります。プロテスタント教会では「聖礼典」と訳されています。サクラメントとは、目に見えない隠れた神秘、隠れた神の御業を示す感覚的なしるしを意味しています。
 プロテスタント教会サクラメントは、バプテスマ(洗礼)と聖餐の二つです。日本基督教団信仰告白では次のように告白されています。「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集いなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝え、バプテスマと主の晩餐(聖餐)との聖礼典を執り行い、愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む。」 
 キリスト教会には、隠れた神の御業を示す感覚的なしるしがあって、これにより、神の御心を五感を通して知り、信頼を深める道筋が整えられています。プロテスタント教会の場合、それは、バプテスマ(洗礼)と聖餐です。
キリスト者とは、主イエス・キリストと共に在ることを信じ、主イエス・キリストに信頼を置いて生きている人たちのことですが、彼らについてパウロは次のように書いています。「あなたがた知らないのですか、キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。」(ローマの信徒への手紙6章3,4節) キリスト者は主イエスの死にあずかる者でもあります。
○主イエスの死は、苦悩に満ちた闇の中での死でした。マタイ福音書26章36節から27章56節に至る受難の場面は、読む者の心に様々な想いを去来させます。中でも、前夜に「しかし、私の願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ26:39)と祈られた主イエスが、翌日には「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と叫ばれたお姿の中に、神への信頼の中にこそサタンが宿ること、そこに人間の宿命的な悲しみ、悲惨な現実のあることを思わされます。しかし、主イエスは、我々人間がやがて直面するであろうこの悲惨を、人として生きてきた自らの生涯の最後に写し出すことによって、救いの道をお示し下さったのです
○主イエスの死に自分の生涯の終りを重ねたキリスト者は、死がもたらす苦悩と共に居てくださる主イエスに慰めを覚え、さらに主イエスの叫びの向こうに、いのちの甦り、復活の出来事を望み見、安らぎと平安を得ているのです。