三崎教会 週報 3/13

2016年  3 月  13 日   週  報 No.11
日本キリスト教団 三崎教会                
受難節第5主日   主 日 礼 拝    順序 (午前10時30分)  
                  司会 松本設子     奏楽 大川昌美                                   
前奏                  
招詞       詩編 105:33〜36 (旧) P.944
讃美歌       24(たたえよ、主の民)       一同
主 の 祈 り                           
交読詩編                11         
聖      書      ヘブライ人への手紙 5:1〜10 (新)P.405
祈  祷
讃美歌          297(栄えの主イエスの)    一同        
信仰告白
説教       「弱さのゆえにこそ」  佐藤千郎牧師
祈      祷 
讃  美  歌        303(丘の上の主の十字架)    一同
献金  
頌栄           25(父・子・聖霊に)       一同
祝      祷
    後      奏  (礼拝当番) (今週) 
                   (次週) 
              ◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
  「イエス様の裁判.」 マタイによる福音書 26:57〜68、27:1〜26    
         40(よあけのほいしが) 114(ちいさいのちが)   
          ▲先週の集会    男   女   計                        
            礼   拝      6   26   32    
           教会学校       1   3   4  (教師 ・父母12) 
   (教会住所)三浦市城山町4−4 
        牧師(代務)生野隆彦   伝道師 進 宏一  
  (電話・FAX) 046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp


(聖句)
 「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。 ヘブライ人への手紙 5:7                                                            
(今日の言葉)  
 イエス・キリストは私たちの弱さを知り、その弱さを担って下さるために、神の御ひとり子でありながら受肉し、十字架への道を歩まれたのです。弱さのゆえにこそ、出会える神を証するためです。
(報告)
○  「 復活日」(イースター)礼拝  3月27日(日)
   (題)  「イエスが来て真ん中に立ち」     生野隆彦牧師
ヨハネによる福音書 20:1〜10,19〜23 讃美歌 26、327、333、29                                  
イースター特別献金のお願い!  献金袋は受付にあります。
◎ イースターに、洗礼を受ける方は、お申出下さい。
「あなたたちが、心変わりして主を離れないために」申命記11:16
○ 2月10日〔水〕(灰の水曜日)より40日間は四旬節(レント)といいキリストが荒野で断食をされた40日間にちなんで定められています。
この期間は主の受難を覚え、克己、懺悔に励み、復活日を迎える準備をし
ます。棕梠の主日(3月20日)、受難週(20日〜26日)、洗足木曜日(24
日)、受難日(25日)です。
お祈りください! ①安全(交通、災害、病) ②貧困(難民、国内の一部
の子供・大人) ③教会学校の子供の成長④キリストの言葉を伝え続ける
こと⑤キリストの体としての教会であり、信仰生活をする者が、一人も失
われずに守られること⑤すぐに行き来できる、近くの教会であること
○日毎の糧(3月10日)「その時には、教えられることを話せばよい。実は、
話すのはあなたではなく、聖霊なのだ。」 マルコ13:11  人によって程
度の差はあっても、人生に不安はつきものです。キリスト者であれば、世
渡り上手になれない時もあり、なおさらです。そのような主イエスを信じ
て生きようとする者に、主は言われます。取り越し苦労も、何の準備もす
るな、試練を乗り切る知恵と言葉は、聖霊がその時に授ける、と。
 次週礼拝予告  3月 20日(日) 午前10時30分
説教題 「苦難はつきものなのか」  進宏一伝道師
聖書   ヨハネによる福音書 16:25〜33 
讃美歌  529(主よ、わが身を) 528(あなたの道を) 



2016年3月13日・三崎教会 受難節前第5主日礼拝

     「今朝の礼拝説教の流れ」               佐藤千郎

○受難節(レント)に入り5回目の日曜日・受難節第5主日のために選ばれている聖句の一つが、ヘブライ人への手紙5章1〜10節の言葉です。キリスト教が誕生して間のない紀元80年代、キリスト教への迫害が強まっていく時代の中で当時のキリスト教信者を励まし、力づけるために書かれたものです。
 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ11:1)と書かれているように、神の助け、神の救いの時を信じて、迫害の時を耐え信仰生活を全うするように勧めています。
 また、「…苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出して下さい。」(ヘブライ10:32)と言った言葉からは、だんだんと厳しさを増す迫害の中で、信仰が弱ることの無いよう気遣っている、当時の教会の指導者たちの祈りと思いが伝わってきます。
○これらの気遣いの言葉、勧めの言葉を根底から支えているのが、「イエス・キリストがわたしたちの大祭司です。私たちの弱さを知り尽くしているこの大祭司が、私たちの罪を執り成して下さる。」と言うこの手紙の特徴的な信仰理解です。
 7節の「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ……」(ヘブライ5:7)の言葉は、苦悩に満ちた主イエスゲッセマネ祈り(マルコ14:32〜)や十字架上での悲痛な叫び(マルコ15:33〜)を想起させます。神のみこころを信じて従う信仰生活は、時に、苦しく辛い現実を伴ったものです。信仰者の多くが経験するこの現実は、今日の私たちにとっても、神への信頼を揺り動かす悩ましい現実です。
ヘブライ人への手紙は、受肉されたイエスのこの世界に於ける忍耐を見習い、忍耐をもって初めの信仰を持ち続け、終りの日の勝利を勝ち取るよう勧めています。
 先に引用した主イエス祈りも叫びも、私たちの祈り、私たちの叫びにほかなりません。この祈り、この叫びの中でこそ、私たちを見捨てることも見放すこともない藭を、私たちは確認し、確信し、告白していくことが出来るのです。
 弱くなることがなければ、貧しさも悲しみも分かりません。そして、悲しみがなければ慰めを知ることもなく、慰めを豊かにくださる藭(Ⅱコリント1:3)に出会うこともありません。イエス・キリストの福音は、悲しみを担った(誕生間のない)教会の群を通して、この世界に届けられ広がっていったのです。