三崎教会 週報 10/2
2016年 10 月 2 日 週 報 No.40
日本キリスト教団 三崎教会
三位一体後第19主日 主 日 礼 拝 順序 (午前10時30分)
司会 進宏一 奏楽 伊勢田宏子
前奏
招詞 詩編 108:1〜5 (旧) P.949
讃美歌 29(天のみ民も) 一同
主 の 祈 り
交読詩編 54
聖 書 マタイによる福音書 11:25〜30 (新)P.20
祈 祷
讃美歌 78(わが主よ、ここに集い) 一同
信仰告白
説教 「食卓への招き」 佐藤千郎牧師
祈 祷
聖 餐 式
讃 美 歌 81(主の食卓を囲み) 一同
献金
頌栄 24(たたえよ、主の民) 一同.
祝 祷
後 奏 (礼拝当番) (今週)
(次週)
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)
「少年サムエル」 サムエル記上 3:〜
あかるいひかりを(86) やさしいめが(119)
▲先週の集会 男 女 計
礼 拝 7 38 45
教会学校 2 3 5 (教師 ・父母9 )
(教会住所)三浦市城山町4−4
牧師(代務)生野隆彦 伝道師 進 宏一
(電話・FAX) 046-881-7923 (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp
(聖句) 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。 マタイによる福音書11:28
(今日の言葉) 礼拝は招きの言葉(招詞)によって始まります。その招き
は主の食卓への招き、神の労(ねぎら)いの時への招きです。そこに、
主の十字架と復活の恵みが約束されているからです。
(報告)
○本日役員会を行います。
○三崎教会 創立62周年記念 秋の特別伝道礼拝
10月9日 午前 10:30
「三崎62年の旅をかえりみて」 生野隆彦牧師
ピアノ・コンサートとお話 小澤扁理さん
昼食交流会 オープンサンド・コーヒー 二葉保育園にて 13時半終了
○教会創立62周年記念特別献金のお願い:教会堂建物・設備の修繕の
ため、献金をお願いいたします。献金袋は受付にあります。
○バザーのお知らせ:11月3日(木、文化の日) 10:30〜14:00
今年の会場は、上宮田小羊保育園です。
食券前売申込期間は10月3日(月)〜10月11日(火)です。
○お祈りください! ①国内外の貧困②神の言葉の力で子供を成長さ
せること③教会生活をする者が守られること④私たちが次世代に教会
をつなぐことが出来ること
○礼拝堂では、静かにその日の聖書を読み、心を神に向けましょう。
○日毎の糧(9月27日)「神が死者を復活させて下さるということを、あなた
がたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。」 使徒言行録 26:8
初めはキリスト者を迫害していたパウロが、復活の主イエスに出会
い、今は復活を信じない王に、命がけで伝えています。信じるのは簡単
ではありませんが、信じた時の救いは危険を大きく上回るということです。
次週礼拝予告 秋の特別集会 10月 9日(日) 午前10時30分
説教題 「三崎62年の旅をかえりみて」 生野隆彦牧師
聖書 使徒言行録 18:1〜11
讃美歌 149(わがたまたたえよ)
2016年10月2日・三崎教会 三位一体後第19主日・世界聖餐日礼拝
「今朝の礼拝説教の流れ」 佐藤千郎
○10月第1日曜日は世界聖餐日です。1946年、WCC(世界キリスト教協議会)の前身、世界基督教連合会によって制定されて以来、WCCに加盟する教会(現在、120カ国以上、340を超える教派が加盟)で毎年守られている教会行事です。
1945年に終了した第二次世界大戦は、西洋でも東洋でも深い傷跡を残しました。このことに祈りを傾けた世界中の諸教会が、聖餐を通してキリストにある交わりを確かめ、全教会の一致を求めて制定されたと言われています。
○聖餐の起源は、主イエスが十字架に架けられる前夜弟子たちとお取りになった夕食(後に、最後に晩餐と呼ばれる)まで遡ります。(マルコによる福音書14章22〜26)
主イエスは、「パンを取り」「賛美(感謝)の祈りを唱え」「それを裂き」「弟子たちに与えられた」のです。パンは私たちの罪のために裂かれたイエスの体を、杯(ブドウ酒)は、私たちの救いのために流された主イエスの血を意味しています。このパンとブドウ酒を通して、すべての人と等しく分かち合うことの出来る賛美、感謝が届けられるのです。それはまた、私を救うお方が私たちと共に居てくださることを、確認すること、更に確信へと高めることでもあります。
○主イエス・キリストの招きは、この確認、この確信への招きです。ですから、救いへの招きは、イエス・キリストの体である教会と切り離しがたく結びついています。
教会活動の中心である主日礼拝は召詞(招きの言葉) によって始められますが、この招きは聖餐式、即ち主イエスが卓主(テーブルマスター)である食卓(聖餐卓)への招きに他ありません。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ福音書11章28節)と声を掛けられるとき、主イエスは一緒に食事をしましょうと招き、呼びかけておられるのです。疲れた者、重荷を負う者は休みが必要であり、何よりも食事が大切であることをご存知だからです。
○「私を救うお方が私たちと共に居てくださる」という真実(主イエスの十字架と復活によって明らかにされた真実)に信頼を置いた人(信仰者)は、「四方から苦しみを受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、倒されても滅ぼされない」(Ⅱコリントの手紙4章6〜9)人生を送ることが出来るのです。これこそ、パンとブドウ酒によって「いつもイエスの死を体にまとっている」(同上10節)わたしたちが信仰生活において体験していることではないでしょうか。