三崎教会 週報 9/4
2016年 9 月 4 日 週 報 No.36
日本キリスト教団 三崎教会
三位一体後第15主日 主 日 礼 拝 順序 (午前10時30分)
司会 栃久保宣子 奏楽 伊勢田宏子
前奏
招詞 詩編 107:31〜32 (旧) P.949
讃美歌 25(父・子・聖霊に) 一同
主 の 祈 り
交読詩編 49
聖 書 ペトロの手紙 一 5:6〜11 (新)P.434
祈 祷
讃美歌 528(あなたの道を) 一同
信仰告白
説教 「心にかけてくださる神」 佐藤千郎牧師
祈 祷
讃 美 歌 470(やさしい目が) 一同
献金
頌栄 26(グロリア、グロリア、グロリア) 一同
祝 祷
後 奏 (礼拝当番) (今週)
(次週)
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)
「知らないと言ったペトロ」 ルカ 22:31〜62
34(かいぬしわがしゅよ)35(しゅわれをあいす)129(どんどこどんどこ)
▲先週の集会 男 女 計
礼 拝 13 36 49
教会学校 3 3 (教師 ・父母7 )
(教会住所)三浦市城山町4−4
牧師(代務)生野隆彦 伝道師 進 宏一
(電話・FAX) 046-881-7923 (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp
(聖句) 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがた
のことを心にかけてくださるからです。 ペトロの手紙 一 5:7
(今日の言葉) 絶望は罪であるという言葉があります。今日の聖句の対
極に位置する言葉です。心にかけてくださる神への信頼を、人生の基に
据え、希望に生きる日々でありたいものです。
(報告)
○礼拝後、役員会を行います。
○今回の台風の記録的豪雨で、犠牲となられた方々を覚えます。
○9月1日は三崎教会の創立記念日でした(1954年)。本日の席上献
金は教団開拓伝道資金に献金いたします。
○先週は、霊南坂教会の兄弟姉妹と共に礼拝を守ることが出来ました。○信徒の友9月号が来ております。
○在韓被爆者援護のための署名・募金を今年も行います。
○戦争の加害、被害を覚えた8月でした。間違いなく過酷な結果になる戦
争を、日本が今後も避けるため、なすべきことを神様が教えてください。
○東湘南地区信徒大会:9月22日(木、秋分の日)、鎌倉教会(JR鎌倉駅
徒歩5分) 午前10時 講演 「慰めの分かち合い」 (東日本大震災時
の原発事故後も、すぐ近くの福島県南相馬市の教会に留まり、今も礼拝
を守り続けられているお話) 鹿島栄光教会 佐々木茂牧師。
(礼拝説教 進伝道師担当 「召された人への思い」)
○お祈りください! ①国内外の貧困②神の言葉を子供の成長に役立
てること③教会生活をする者が守られること④私たちが次世代に教会を
つなぐことが出来ること
○暑さが続きます。礼拝中でも、扇子の使用、水分補給をしましょう。
○体調が悪い時は、説教中でも席をはずして休んでください。
○礼拝堂では、静かにその日の聖書を読み、心を神に向けましょう。
○日毎の糧(8月30日)「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あな
たがたの天の父の御心ではない。」 マタイ18:14 迷い出てしまった
小さな者が滅びるのは神の御心ではない、と主イエスは言われます。
離れてしまった人々への対応を語られているようです。
次週礼拝予告 9月 11日(日) 午前10時30分
説教題 「敬老の日を覚えて」 生野隆彦牧師
聖書 詩編 92:13〜16 コヘレトの言葉 3:10〜13
讃美歌 171(かみさまのあいは) 518(主にありてぞ)
2016年9月4日・三崎教会 三位一体後第15主日礼拝
「今朝の礼拝説教の流れ」 佐藤千郎
○「日々の聖句」(ローズンゲン)に使用されている教会歴による聖書日課は、三位一体後第15主日の聖句として、ペトロの手紙一に併せてマタイ福音書6章25〜34節を選んでいます。これら2箇所の聖句から、今日の(今週の)信仰のテーマのひとつが「思い煩うな」であることが読み取れます。さらに、ペトロの手紙一には、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな……」(マタイ6:25〜34)と語られた主イエス・キリストの教えとの、密接かつ深いつながりが感じられます。
この手紙の差出人であるペトロが主イエスの直弟子であったと判断するには無理があると言われています。しかし、ペトロの手紙は、イエスのみ言葉に信頼を置いて暮らしていた信仰者の言葉に変わりはありません。
○この手紙は、当時の世界各地で苦闘している信仰者が、苦難を伴う歩みに意味を見出し、将来の希望に生きるよう励まし、勇気づけるために書き送られたものです。
強調されていることのひとつは、「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(Ⅰペトロ5:7)と言うことです。このみ言葉には二つのことが言われています。
ひとつは、思い煩いを神にお任せするようにとの勧めです。しかし、私たちのこころは揺らぎやすく、もろくくずおれやすいもの、信仰が折れる経験は誰にもある、と言っても過言ではありません。最近目に留まった記事の一つを紹介させて頂きます。
(「福音と世界」9月号に掲載の文章)
深い悲嘆の中にも、復活への希望を予感させる文章です。
○もうひとつは、神が、あなたがたのことを心配されていると言うことです。信頼が失われないか心配しているのは私たちだけではありません。神の心配事そのものです。だから、さらに言葉が加えてられているのです。「…招いてくださった神ご自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者として、強め、力づけ揺らぐことがないようにしてくださいます。」(Ⅰペトロ5:10)と。
私たちは弱く危うい存在です。このような私たちを神は心にかけてくださり、強め、力づけ、揺らぐことのないようにしていてくださるのです。この神(の恵みに満ちた配慮)から目を反らしてはいけないのです。「絶望は罪」(キエルケゴール)だからです。