三崎教会 週報 4/3
2016年 4 月 3 日 週 報 No.14
日本キリスト教団 三崎教会
復活後第一主日 主 日 礼 拝 順序 (午前10時30分)
司会 進宏一 奏楽 伊勢田宏子
前奏
招詞 詩編 106:1〜3 (旧) P.945
讃美歌 28 (み栄えあれや) 一同
主 の 祈 り
交読詩編 14
聖 書 ペトロの手紙 一 1:3〜9 (新)P.428
祈 祷
讃美歌 新聖歌 325(歌いつつ歩まん) 一同
信仰告白
説教 「主イエスの復活によって」 佐藤千郎牧師
祈 祷
讃 美 歌 327(すべての民よ、よろこべ) 一同
献金
頌栄 29(天のみ民も) 一同
祝 祷
後 奏 (礼拝当番) (今週)
(次週)
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)
「感謝した人」 ルカによる福音書 17:11〜19
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▲先週の集会 男 女 計
礼 拝 5 60 65
教会学校 7 7 (教師 ・父母9)
(教会住所)三浦市城山町4−4
牧師(代務)生野隆彦 伝道師 進 宏一
(電話・FAX) 046-881-7923 (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp
(聖句)
「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、」
ペトロの手紙 一 1:3
(今日の言葉)
復活には神の願いが込められています。その願いとは、私たちが、生き生きとした希望をもつ新しい人として生まれ変わることです。
(報告)
○ イースター礼拝後の愛餐には、50名を超える方が参加下さり、ありがとうございました。持ち寄りによる、手作りの美味しさを改めて感じることが出来ました。早朝からの準備と片付のお手伝を感謝いたします。
○ 2016年度 三崎教会 教会総会 (日時) 4月24日(日) 礼拝後 (議題) ①事業報告、事業計画の件②会計決算、会計予算の件 ③役員選挙の件 ⇒教会員兄姉は必ず出席願います。
○ 聖書通読会・祈祷会を4月17日、礼拝後行います。月一回、参加者のお祈りと一言で15分程度の、主による交わりの時を持ちたいと思います。
○東湘南地区教会音楽祭(7月10日、横須賀学院チャペル)に参加します。
お祈りください! ①貧困(難民、国内の一部の子供・大人) ②教会学
校の子供の成長 ③キリストの体の教会として、御言葉を伝え続け、信仰
生活をする者が守られること ④すぐに行ける近くの教会であること
○礼拝堂では、静かにその日の聖書を読み、心を神に向けましょう。
○日毎の糧(4月2日)「イエスのなさったことは、このほかにも、まだまだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」 ヨハネによる福音書 21:25
人間は、信仰があってもなくても、過去を振り返ります。誰にも、あまりにも多い、様々な出来事、喜び、悲しみがありました。それらすべてが自分の能力の結果、あるいは運不運の産物だったのだろうか。キリスト者は考えます。もしかしたら、一つ一つについて、すべてが神に与えられた物だったのではないか。
次週礼拝予告 4月 10日(日) 午前10時30分
説教題 「見ないのに信じる」 生野隆彦牧師
聖書 詩編 25:1〜5 ヨハネによる福音書 20:24〜30
讃美歌 361(この世はみな) 458(信仰こそ旅路を)
2016年4月3日・三崎教会 復活後第1主日礼拝
「今朝の礼拝説教の流れ」 佐藤千郎
○あなたがたは、神の力により、信仰によって守られています。/あなたがたは、心から喜んでいるのです。/あなたがたの信仰は、称賛と栄光と誉れとをもたらすのです。/あなたがたは、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。(ペトロの手紙1:3〜) これらの言葉は、復活後第1主日のために選ばれている聖句です。二人称を一人称に置き換えて、自分の言葉として読むと、これらがどれ程すばらしい言葉であるか実感できます。
「わたしは、神の力により、信仰によって守られています。」 いついかなる場合にも確信をもってそういえる人は幸いな人です。そして、これが神の力によって守られ、神の力に信頼を置いて生きる信仰者の姿です。神は、わたしたちをこのような信仰者へと育てて下さっています。神の力に信頼を置いて生きる、そこに、わたしたちの暮らしから失われることのない喜びの源が約束されているからです。
○この手紙の受取人は、何の不自由も問題もない恵まれた環境の中で信仰生活を送っていた人たちではありません。母国を離れ他国で暮らす信仰者たちで、それらの国、地域でのマイノリティー(社会的少数者)でした。多数派のもとで、不利益や不当な扱いを受けることが多く、かつ差別や抑圧さらには排除の対象となることも少なくありませんでした。生き延びるためには,体制や地域の習慣などに、こちら側からすり寄って行かざるをえない,そんな宿命を負った人たちでもありました。
○強大なローマ帝国のもとでの振る舞い、職業の選択、結婚生活など具体的な暮らしの中に、そこで生き続ける信仰者たちの苦労を読み取ることが出来ます。しかし、長老ペトロは、皇帝礼拝を強いるローマ帝国下での苦渋に満ちた暮らしであれ、周囲の人々から受ける理不尽な仕打ちであれ、これらを甘んじて受けるよう励まし、このような暮らしから生じる苦難を、主イエスが歩んだ道を歩むことの許された恵みとして受けとめ、希望をもって生きるように勧めています。何故か。
○わたしたちの生活はすでに喜びを伴った生活であり、わたしたちは,神が与え、神が届けて下さる喜びの内に生き、存在しているからです。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という叫びが、この世界の終りとはならないことを、主イエスの復活が明らかにしているからです。そして、復活信仰には、苦難の中に喜びを見出す力があり、さらにその喜びを希望へと高める力があるからです。