三崎教会 週報

2014年 5 月  11 日    週  報 No.19
日本キリスト教団 三崎教会                
復活後第3主日   主 日 礼 拝  順序 (午前10時30分)  
              司会 木村諭  奏楽 廣瀬牧実                             
前奏                     
招詞     詩編 61:4.〜5 (旧) P.894           
讃美歌     26 (グロリア、グロリア、グロリア)  一同
主の祈                          一同 
交読詩編             76
聖書   ヨハネによる福音書15:1〜8   (新)P.198
祈  祷
讃美歌        575(球根の中には)      一同        
信仰告白
説教      「実を結ぶ信仰」       佐藤千郎牧師 
祈  祷
聖  餐  式
讃  美  歌      479(喜びは主のうちに)    一同
献金  
頌栄         27(父・子・聖霊の)       一同
祝      祷
    (礼拝当番) (今週)             (次週)  
◎ 教会学校礼拝(午前9時30分)         
      「神様の言葉」 エレミア書 36:〜    
        いつくしみふかき(61) おことばしんじ(42)
▲先週の集会       男   女   計                        
      礼     拝        8    26  34 
     教 会 学 校                 (教師 ・父母5) 
       (教会住所)三浦市城山町4−4 牧師(代務)生野隆彦
                           伝道師   進宏一  
(電話・FAX)046-881-7923   (e-mail) fgmfg320@ybb.ne.jp

(聖句) 
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっておれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。                  ヨハネによる福音書15章5節
(今日の言葉)
キリスト者聖霊、即ち神の力と働きによって、信仰の実を結びま
す。しかし、その確かさは人間の内側にあるのではありません。神
が、人を新たにつくりかえ、信仰の実を実らせてくださるのです。聖書
では、神の力と働きがキリスト論的、救済論的に基礎づけられ,かつ
主イエスの十字架の恵みに裏打ちされています。  
(報 告)
○ 礼拝に引き続き、新年度の役員就任式を行います。
○ 本日礼拝後、定例役員会を行います。
○ イースター献金の報告は後日させて頂きます。
○ 本日は母の日です。「春は軒の雨、秋は庭の露、母はなみだ渇くまなく、祈ると知らずや。」旧讃美歌510番より  
   母の日神の祝福を心よりお祈り致します。
○ 今週は、婦人会の手作りデザートとコーヒーを用意させて頂きました。帰りがけに、一口ですが、お召し上がり下さい。
○日毎の糧5月8日  「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、私たちは生きていると言えるからです。」  
       テサロニケの信徒への手紙一 3:8
 私たちキリスト者は、この世の命の後に続く、永遠の命の希望を抱いています。一方で、神に与えられた、今を生きることも大事な使命です。私たちは過ちを繰り返します。それでも主に結びついていれば、私たちが、きちんと役割を果たし生きている、と主が認めて下さるというのです。 
次週礼拝予告 5月18日 (日) 午前10時30分
説教題  「復活を信じるということ」  進宏一伝道師  
聖  書   ルカによる福音書24:36〜43(新)P.161
讃美歌 57(ガリラヤの風かおる丘で)510(主よ、終わりまで)

2014年5月11日・三崎教会 復活後第3主日礼拝

「今朝の礼拝説教の流れ」               佐藤千郎

○主イエス・キリスト御復活後第3主日礼拝のために選ばれ、読まれ続けられている聖句のひとつが、ヨハネ福音書15章1〜8節です。教会の暦では、復活祭から聖霊降臨祭(ペンテコステ)までの主日礼拝に、それぞれにテーマがつけられていますが、今日の礼拝のテーマは「よろこべ」です。
主イエスの復活によって新しい命、永遠のいのちが約束された私たちは、主の十字架のお苦しみと死を通して,神の憐れみを知り、私たちがどれ程深く神に愛されているか気付かされ、そしてそこに、死によっても失われることのない喜びがもたらされ、その喜びから賛歌が生まれ、やがて喜びを伴った人生は、さらに神の愛を求める祈りへと高められ、この祈りの中で教会は誕生し形成されていく、というのが教会歴に付けられたテーマの流れです。
このテーマの底を流れる信仰の「通底音」は、「わたし(主なる神)はあなたと共に居る」、「私は、あなたを見放すことも見捨てることもない」というメッセージです。
○このメッセージをぶどうの木とその枝をたとえに、主イエスがお話になったのが、今日の聖書の言葉です。主イエスのたとえの見事さは人々の暮らしに密着している点にあります。人々が日頃から,目にしているもの、耳にしているものを通して,信仰の本質をお話になるその見事さです。
 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」との言葉に,『これから話す内容は「神の喜び」に関することであり、私たちはこの「よろこび」へ招かれている』とのことを伝えるために語られたたとえであることが、示唆されています。
○15章5節の言葉から、「つながっている」ことの大切さを改めて気付かされています。ひとつには、家族も含めた隣人とのつながりです。喜びは隣人とのつながりの中で生まれます。隣人とつながっていること、そしてそこに喜びが生まれていること,それが私たちの人生を支える土台であり、造り主なる神によって「助ける者として造られた」ことの内容です。人間関係に於ける関係の崩壊は、本来つながっているべきものがつながっていないことが原因です。
 もうひとつ、これが根源的なことですが、私たちはすでに、主イエスの愛によって神と「つながって」います。信仰の実は神が結んで下さいます。だから、私たちの中から喜びが失われることはありませんし、望みが取り去られることもありません。